ロッサーノ福音書の解説

6-7p.「使徒の聖体拝領」
「ロッサーノ福音書」 の一部分
「使徒の聖体拝領」 の一部分

『ロッサーノ福音書』では、パンをキリストから受け取る6人の使徒が画面右から歩み寄っている場面に1ページ、ワインを受け取る6人の使徒が左から歩み寄っている場面に1ページをあてている。現在の製本では、本来の構図がわからないが、制作当初の製本では、キリストを中心に左右から使徒が歩み寄る全ページ大のモニュメンタルな挿絵であった。

この挿絵は、同写本の他の挿絵と異なり、背景には説話的な情景描写は一切描かれておらず、パンやワインを受け取るサクラメントを表すための特別な画面構成を採用している。とはいえ、『ロッサーノ福音書』の「使徒の聖体拝領」は、イスタンブールにある同時代の作例のように祭壇の後ろで司祭として振舞うキリストといった祭儀を具体的に示す描写とは異なる。この点に関しては、挿絵師がその視覚的記憶の中にとどめておいた教会堂の壁画のモニュメンタルな構図をイメージの源泉として用いたから、とレルケは指摘している。現存してはいないが、《ロッサーノ福音書》のモデルとなったであろう教会堂の壁画ではまさに、使徒たちがワインを受け取る場面が左に、パンを受け取る場面が右に描かれ、キリストを中心として左右から求心的に歩み寄る構図であったと推測される。

壁画の中での「使徒の聖体拝領」は、現実の祭壇を視覚の中に取り込むことで、そこで実際に行われていたミサ時のキリストの実在が、もはやパンやぶどう酒だけにあるではなく、司祭としてのキリストの実在性をもイメージの中に取り込もうとする意図があったからに違いない。あたかもキリストからパンとぶどう酒を受け取るようなイメージを信徒に与えるよう企てられた教会堂の装飾プログラムは、教会堂建築と壁画装飾という身体的かつ視覚的な演出があってこそ、効果的に信仰に作用するのである。

左右から使徒が歩み寄るといった画面の左右対称性は、肉と血のパラレリズムの描写であり、肉と契約といったパラレルでない二つの言葉にまつわる描写ではない。その証左として、画面上部にはあえて異なる二つの福音書のテクストに手を加えてまでパラレルにこだわって記していることが指摘できよう。ルカ(22:29)からの引用「パンを取り、感謝の祈りを唱えて、彼らに渡して言われた。"これはわたしの体である"」とマタイ(26:27)からの引用「杯を取り、感謝の祈りを唱え、彼らに渡して言われた。"これはわたしの血である"」が画中に書かれているテクストである。福音書テクストにある「パンを裂き」と「皆、この杯から飲みなさい」という二つの言葉を、あえて省略することによって生まれた銘文のより完全なパラレリズムは、画面構成上の左右対称性と見事なまでに呼応する。このことは物語場面という厳格な時間の秩序に従ったものとは正反対の、脱時間的なもの、つまり礼拝的・儀礼的なものであり、いわば挿絵が教会堂の壁画に見られるイコン性に大きく依拠していることに他ならない。

1p.「ラザロの蘇生」
2p.「エルサレム入城」
3p.「宮清め」
4p.「十人のおとめの譬え」
5p.「最後の晩餐」
5p.「洗足」
8p.「ゲッセマネ」
14p.「よきサマリア人の譬え」
15-16p.「ピラトの尋問」
15-16p.「ピラトの判決」
16p.「福音記者マルコ」