巻頭には「詩篇"しへん"」とある。
聖公会の祈祷書には旧約聖書の詩篇の言葉が多く含まれているため、アメリカ聖公会の宣教師C・M・ウイリアムス(Channing M. Williams)は早くから「詩篇」の日本語訳に関心をもっていた。1876年の東京聖書翻訳委員会および1878年の東京聖書翻訳常置委員会に次いで、後者は1882年に組織を改め、翻訳委員にヘボン(James C. Hepburn)、ファイソン(Philip K. Fyson)、フルベッキ(Guido H. F. Verbeck)を任命した。フルベッキはウイリアムと共同で『詩篇』の翻訳にあたり、これには日本人の植村正久、松山高吉も協力、1887年に本『旧約聖書 詩篇』の刊行をみた。その訳文は、「雅歌」の訳文とともに日本の詩歌に影響を与えた。海老沢有道文庫には大英国聖書会社版が所蔵されている。ほかに米国聖書会社版、北英国聖書会社版も知られている。