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海老沢有道(Arimichi Ebisawa) |
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日本キリスト教史研究の専門家
キリシタン史、日本語訳聖書研究の第一人者でした。専門はキリシタン史ですが、カトリック、ギリシャ正教、プロテスタントを問わず、広く日本キリスト教史全般に通じ、文字通り博覧強記で知られた研究者でした。晩年、編集委員長として全精力を傾注した『日本キリスト教歴史大事典』(教文館)の仕事に、それはよく集約されています。
また、キリスト教史学会の創設にかかわり、長く理事長をつとめられました。キリシタン史の研究では、姉崎正治の影響を受け、それを学問的レベルにまで高めた先駆者でありました。外国語による一次資料を用い、東西文化交流の視点に立ちながら、あくまでキリシタン史の中心に信仰があることを忘れませんでした。
海老沢先生の蔵書
個人の蔵書でありながら「海老沢有道文庫」と名乗るにふさわしい、内容と分量と体裁を十分にそなえておりました。図書館学も担当されていたことが物語るように、「海老沢有道文庫」の蔵書には独自の分類が加えられ、すべてカード化され、登録され、ラベルまで貼られていました。整理が小さなパンフレット類にまで及んでおり、その徹底ぶりには、感嘆のほかありませんでした。蔵書は、さながら日本キリスト教史の小図書館であり、分類にしたがって自由に即座に探求書を取り出すことができますし、第三者によっても出納が可能です。本学でも、その志を尊重して分類もラベルもそのまま継承することにしました。
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立教大学名誉教授
鈴木 範久
続・図書館のまど 海老沢有道文庫についてから一部引用
海老沢有道文庫目録から一部引用 |
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年 譜 |
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1910(明治43)年 |
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11月20日尼崎市で生誕 |
1934(昭和 9)年 |
立教大学文学部史学科を卒業 |
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同志社高等女学校、立教中学校に勤務 |
1942(昭和17)年 |
『切支丹史の研究』を刊行 |
1943(昭和18)年 |
召集を受け中国に派遣される |
1946(昭和21)年 |
中国から帰国 |
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横浜市立医学専門学校講師に就任 |
1949(昭和24)年 |
聖心女子大学教授に就任 |
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小沢三郎氏らとキリスト教史学会を創立 |
1958(昭和33)年 |
『南蛮学統の研究』を刊行 |
1960(昭和35)年 |
立教大学教授に就任 |
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『ゑびすとら』第1号創刊 1992年1月まで32年に渡り177号まで刊行 |
1963(昭和38)年 |
キリスト教史学会理事長に就任 |
1964(昭和39)年 |
『日本の聖書』を刊行 |
1965(昭和40)年 |
立教大学教務部長に就任 |
1966(昭和41)年 |
立教学院百年史編纂委員長に歴任 |
1968(昭和45)年 |
立教大学文学部長に歴任 |
1976(昭和51)年 |
立教大学を定年退職 |
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国際基督教大学大学院教授に就任 |
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『地方切支丹の発掘』を刊行 |
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『日本キリスト教歴史大事典』編集委員長として刊行に貢献 |
1981(昭和56)年 |
国際基督教大学を定年退職 |
1988(昭和63)年 |
キリスト教文化功労賞を受賞 |
1992(平成 4)年 |
1月3日逝去 |
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