百万塔とは、奈良時代の女帝、称徳天皇(718-770)の発願により製作された百万基の木製の三重小塔の総称であり「百万塔陀羅尼」とは、その小塔の中に納入された陀羅尼の総称である。天平宝字八年(764)恵美押勝(藤原仲麻呂)の乱の後、死者の霊を弔い罪業消滅を祈願する為に発願されたもので、『無垢浄光大陀羅尼経』の所説による。塔身には本経所説の六種の陀羅尼のうち、修造仏塔、大呪王陀羅尼の二種を除き、根本、相輪、自心印、六度の四種の陀羅尼が一巻ずつ納められ、国家鎮護・滅罪・後生菩提を願った。
塔の製作は、轆轤挽きによるもので、天平宝字八年(764)に始まり、神護景雲四年(770)に完成した。その後、それぞれを百万基の小塔に納め、法隆寺をはじめとする十大寺に十万基ずつ分奉したといわれるが、今日残るのは法隆寺に伝来したものだけである。
(十大寺とは、南都七大寺:〔大安寺、元興寺、興福寺、薬師寺、東大寺、西大寺、法隆寺〕および摂津の四天王寺、近江の崇福寺、大和の弘福寺〔川原寺〕のことである)
塔に納められた陀羅尼とは通称であり、正式な名称は各経の首行に「無垢浄光経」と題し、次行に上記四種類の陀羅尼名を印する。経にはそれぞれ印面の長さが異なる長経と短経があり、書体も異なる。長経の根本にのみ違版があり、現在では全9種類が確認されている。
経文の印刷方法については銅版説、木版説などあり、いまだ判明していないが、制作年代が明確な世界最古の印刷物であることに間違いないだろう。
今回は本学図書館所蔵の塔および陀羅尼短経四種を展示する。複製ではあるが「百万塔陀羅尼」の所蔵および研究機関として名高い静嘉堂文庫の全面的な協力を得て作成されたものである。
上記解説の通り、実物は770年に完成した。グーテンベルクによる「42行聖書」の印刷より約700年も前の出来事である。
注目すべき点は、双方とも宗教と非常に深い関係を持っていることである。印刷術の出現によって、聖書の普及は印刷技術の進歩と共に急速に進み、布教にとって追風となった。
「百万塔陀羅尼」は、五年余りで百万枚のお経を印刷せよ、という大量の注文に対し、写経の様に一枚ずつではなく、少なくとも二枚以上一緒に印刷していたことが近年の研究であきらかになった。当時の技術者がいかに苦労したかがうかがえる発見である。
世界最古の仏教に関する印刷物は日本で創られた。このことを本学学生が認識し、印刷技術と宗教との関係を正しく理解してもらうことを、本学図書館は切に願うものであります。
(参考資料:古典研究会編「汲古」第37号)