エミール(全4巻)

 

エミール

エミール

タイトル(仏) Émile, ou, de l'éducation
タイトル(日) エミール
責任表示 J.J. Rousseau
著者名典拠 Rousseau, Jean-Jacques
出版年 [1762]
出版地 Amsterdam
出版者 Jean Néaulme
言語 フランス語
ページ数  
大きさ 17cm
装丁 洋装
請求記号 第1巻 NDC: 371.235||R 76||1
第2巻 NDC: 371.235||R 76||2
第3巻 NDC: 371.235||R 76||3
第4巻 NDC: 371.235||R 76||4
注記 Includes indexes
PDF(一部抜粋) エミール:第1巻 第2巻 第3巻 第4巻
立教OPAC登録番号 第1巻:52136283
第2巻:52136284
第3巻:52136285
第4巻:52136296

 

解 説


 近頃、教育について語られない日はありません。いじめの解消や、学習効率の向上、競争原理の導入の是非(市場の表象はいたるところで我が物顔で暴走しています)、果ては国際人の養成…あたかも重要な教育問題は「実用的」な問題ばかりであるかのようです。
 『エミール』がわたしたちに考えさせるのは一見まったく「実用的」でない問いです。
 たとえば、「教える」とはいったい何なのか。果たして本当に「教える」ことなど可能なのか。仮に可能だとして、「教える」ことが成立するためにはどのような条件が必要なのか。
 あるいは、ひとりの人間として生れ落ちた個人は、果たして自律した存在に成長しうるのか。成長しうるとすれば、それはどのようにして可能になるのか…
 このような大きな問いについて考えていれば、日々の教育の現場では何ひとつ先に進まないと反論がなされるでしょう。ですがどれほど教育の効率を高めたところで、もしわたしたちが向かっている方向が間違っていれば、教育は不幸な結果しかもたらさないのではないでしょうか。不幸な結果の最大の被害者は常に子どもたちだ、ルソーはそう書いています。
 隠喩ではなく、生徒や学生が消費者そのものとみなされているこの恐るべき時代に、「教える」ことの意味を根源的に問い直すことの意味は小さくない筈です。(桑瀬 章二郎・本学教授)

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