解説「貼交屏風」とは?

貼交屏風とは、種々の書画を適宜に交ぜて貼った屏風のことをいいます。

屏風がわが国に初めて伝来したことを伝える記事が『日本書紀』の朱鳥1年(686)の条にあります。その記事によると、新羅(しらぎ)からの進調品に屏風があったそうです。のちには法隆寺や大安寺の資財帳に記載されたり、正倉院にそのうちのいくつかが現存しています。平安時代の貴族の寝殿造の住宅に多くの屏風が使われていたことが、当時の日記・物語に屏風に関する記事から分かります。御即位のときに立てる孔雀(くじゃく)形屏風をはじめ、唐人打球の図の大宋(そう)屏風、地獄変(じごくへん)屏風、四季をそれぞれ3曲ずつ12曲描く月齢屏風などがあります。

京都・東寺旧蔵の山水(せんずい)屏風(国宝、京都国立博物館)は、唐人が描かれているものの、背景には日本の景観が混じって表現され、唐絵(からえ)から大和(やまと)絵への推移を示すものとして貴重です。また、屏風絵の上方に色紙を張り混ぜる屏風も出現しました。
屏風全体に絵を描くようになった平安時代より、各時代にそれぞれ特色ある技法の屏風絵が出現しました。これと並行して、建物の板戸や扉にも絵画による装飾が行われるようになり、書院造の発展とともに部屋を仕切る襖(ふすま)障子にも絵画が描かれ、屏風絵を含めて障屏(しょうへい)画とよばれる日本絵画の1ジャンルを形成していきます。

室町時代には水墨主体の山水・花鳥図など、桃山時代にはこれに加えて彩色豊かな風俗画や都市の行事を描くことが流行しました。南蛮屏風や洛中洛外図(らくちゅうらくがいず)屏風などがあります。さらに江戸時代には多様な絵画様式で発表されるようになるとともに、庶民社会にも屏風が普及して、枕(まくら)元に立てる小さな枕屏風、茶の湯のときに用いる風炉先(ふろさき)屏風、香をきくときの香屏風など特殊なものも現れました。現代では、屏風は壁面に張って室内装飾とするなど、過去の使い方とは変わったが、日本画の表現形式として屏風絵は根強い人気を保っています。また結婚式をはじめ、祝宴の背景に金屏風は欠かせないものとなりました。

屏風はつなぎ合わせた数により、6枚つなぎ2点(2隻)からなるものを六曲一双といい、1点だけの場合は一隻または半双といいます。

(参考文献:小学館「日本大百科全書ニッポニカ」、岩波書店「広辞苑」)