桃太郎絵巻

解題

桃から生まれた桃太郎が猿や犬をしたがえて鬼ヶ島の鬼退治をする昔話でおなじみの「桃太郎」の絵巻物。1795年(寛政七)秋、龍雲斎の作。「桃太郎」の話は中世までは痕跡がなく、文献上は18世紀、江戸時代中期までしかさかのぼれない。もともと民間で語られていたのであろうが、江戸時代の赤本などの絵入り本で急速に普及し、口承文芸としてひろまったと思われる。絵巻諸本にストーリーを記した詞書本文がないのは、すでに誰でも知っている話題だったからである。

絵巻は近世の絵師として名高い英一蝶の作があったとされるが、現存しない。現存諸本は、18、19世紀の作に限られる。くもん子ども研究所本、東京国立博物館本をはじめ、ダブリンのチェスタービーティ・ライブラリィ本、ニューヨークのスペンサー・コレクション本など海外にも所蔵される。立教本は奥書に「寛政七年」「龍雲斎」という年時や絵師の名が明示される点で貴重である。天明期(1781-88)とされる、くもん研究所本についで古く、図像も双方似かよっている。「龍雲斎」については佐野龍雲かとされるが未詳。これも奥書に「英一蝶図」とあり、一蝶の作をふまえたものであることがうかがえる。

江戸時代の「桃太郎」の特徴は、桃を食べた老婆が若返って桃太郎が生まれる回春型が多いことにあり、通常知られている桃から生まれる果生型と相違する。また、大石を持ち上げたり、熊を投げ飛ばす怪力ぶりを示し、「金太郎」などとも共通する。本絵巻もそうした近世期の特徴をかねそなえている。

「桃太郎」は、明治のナショナリズム高揚期には皇国の子とされ、戦前は軍国主義の侵略の象徴、戦後は民主主義の申し子となるように、時代ごとにさまざまなイメージを付与されてきた。柳田国男『桃太郎の誕生』が「桃太郎」を多角的に分析して日本文化の深層をさぐったように、「桃太郎」は<日本>を考える上で、常に古くて新しい、身近で重要な存在であり続けている。

この絵巻をひもときながら、しばし自らをふりかえってみてはどうだろう。幼い日々のことが記憶によみがえってくるであろうし、何かほのぼのとした感興にとらわれる。それと同時に、桃のイメージは何か、鬼ヶ島の鬼とは何か、なぜ手下は猿に犬に雉なのか、次々に疑問がわいてきて、この話にひめられたメッセージは意外に深いものがあることにも気づかされるであろう。

書誌については以下の通り。 絵巻一軸。 外題・内題なし。 表紙後補。 無紋紺色。 表紙・タテ24.8、ヨコ23.0㎝。 全長・1287.7㎝。 43紙貼り継ぐ。 料紙・楮紙。 淡彩。 詞書なし。 桃太郎の笠の色目のみ書き入れあり。 奥書「右英一蝶図 寛政乙卯秋 龍雲斎写」。 保存良好。

1. 桃太郎が熊を投げ飛ばす場面

冒頭は省略するが、母親が桃を入れた桶を頭に載せて帰宅する画面から始まる。家では父親が座っているが、いかにも貧しい暮らしぶりで、母親の若さに比べて父はひどく年老いている。桃を手にした段階から若返ったのであろうか。次の粉をひいてこねる場面では父もすでに若返っている。回春型であることは疑いなく、桃太郎の誕生シーンは描かれない。 桃太郎が初めて登場するのがこの場面で、山中で上半身裸になって熊を投げ飛ばしている。誕生よりも、生長して怪力を示す方に力点がおかれている。金太郎に共通するが、幼いものが怪力を示すのは、弁慶や酒呑童子など、「捨て童子」の話型に沿っている。

桃太郎の様子を樹の間から猟師が目撃している。桃太郎の強力を目の当たりにして、それを語りひろめる役割をおのずとおびる。見る人物が語る人物に転位する、説話発生の仕掛けが描かれているといえよう。

2. 桃太郎の力自慢と鬼退治の出発準備

山中の場面から一転して、市中に移り、ここでも大きい石を持ち上げる。桃太郎の力自慢を示す。今度は周囲で多くの人が見物している。山では猟師一人だったのが、こちらは群衆になる。群衆は左右から桃太郎を取り囲むかたちになり、左手に指さす子供がいる。これらの子供はちょうど桃太郎と同じくらいの年格好である。

見物の中にいる山伏、あるいは首に袋をまいた若い僧らは、いかにもこの桃太郎の話を得意げに語りそうな存在であり、これも説話が発生する雰囲気を漂わせている。ついで桃太郎が室内で刀を抜いて見極める。そばに笠や袋、わらじ、団子が置かれ、両親が心配そうに見守る。旅支度の場面である。両親は若く、服装も立派になっている。桃太郎の誕生が富をもたらしたのであろう。

3. 猿や犬との出会い

桃太郎の旅立ちを見送った両親は、小さな社にお供えをし、旅の安全を祈願する。ついで川のそばで落葉樹の二股の樹上から猿が手を出し、左手から桃太郎が見上げる。猿の目的は明らかに桃太郎が腰にさげた団子にある。桃太郎は刀を腰にさげ、首に袋を巻き、おおきな笠を右手に持っている。両者の目線が合った、出会いのシーンとしてなかなか印象深い構図である。

次の犬と会う場面では、右手に松林があり、そばに桃太郎が腰掛け、左手の犬に話しかけている。右手にひかえた猿はすでに服を身につけ、腰に刀をさげていて、桃太郎の笠と袋を肩にかけている。猿・犬・雉ともに桃太郎と出会ったときは動物の状態で、その配下になると、擬人化され、人のようにふるまう。

4. 雉との出会い、船で鬼ヶ島へ

笹のかたわらで立ったまま桃太郎が左手の雉と相対している。右手に猿と犬がひかえている。猿が袋を持ち、犬が笠を持っている。すでに犬も一人前の装束に身をまとっている。ついで、帆掛け船に乗る桃太郎と動物たち。鬼ヶ島をめざす船で、帆を一杯にはらんでいる。桃太郎は舳先で碇のそばに寝そべり、猿は中心の帆柱に、犬はその右手にいる。雉が舵をとっている。船のシーンは絵巻にかならず描かれるが、諸本によって差があり、スペンサー本では雉が空を飛んでいる。

5. 鬼ヶ島攻め

鬼ヶ島に着いた桃太郎一行はさっそく鬼の城を攻める。波の打ち寄せる巌の様子で鬼ヶ島の雰囲気をあらわし、浜辺の門や塀から桃太郎らが攻め寄せる。お伽草子や古浄瑠璃の『酒呑童子』、『朝比奈』『義経地獄破り』などにも共通する一連の門破りの型である。正面から桃太郎と犬、猿や雉は木をつたって脇の塀を乗り越えようとしている。桃太郎は右手足を門に押し当ててふんばり、犬は木の枝を肩にかけて門を下からこじ開けようとしている。桃太郎の鎧の赤胴には桃の図もみえ、描写が細部に行き届いている。塀の内側には、種々の槍や旗が立てられている。

6. 動物たちと鬼との闘い

桃太郎の侵入を知った鬼たちが刀や槍をひっさげてかけつける。犬や猿たちが次々と鬼を退治するさまが描かれる。犬は左側から鬼を組み伏せ、首にかみついている。雉は空中で右手に刀、左手に扇を持って、鬼の突き出す槍をしのぐ。猿は右向きに逆立ちして右手を地面につけて、左手で刀を鬼に向けて突きだす。右側の鬼は大上段に刀をふりかざしている。

空中の雉は、『百鬼夜行絵巻』の鳥兜の妖怪図を連想させる。猿の逆立ちは猿回しの曲芸などと関連するもので、芸能化している。いずれもアクロバチックな、きわめて興味深い画面である。

7. 桃太郎の活躍、鬼退治

左手で鬼をはがいじめにし、仁王立ちになる桃太郎。桃太郎の投げた石の下敷きになる鬼や逃げ出す鬼が描かれる。鬼退治は『酒呑童子』の頼光四天王らの鬼退治ときわめて似かよっている。歌舞伎で役者が見えをきるシーンを連想させる。石投げは最初に見た、熊を投げ飛ばしたり、大石を持ち上げる場面につながるであろう。

8. 鬼の降参、桃太郎一行の凱旋

右手に下女二人、姫がひかえ、平身低頭の鬼の王が描かれる。その左手に差しだされた献上品。鬼の宝物が台にあふれんばかりに載っている。打ち出の小槌、隠れ蓑に隠れ笠である。打ち出の小槌は『一寸法師』でなじみの物だが、隠れ蓑と隠れ笠はそれを着ると姿が隠せるという、鬼を象徴する宝物である。これを左手から桃太郎と動物たちが見つめる。桃太郎は鬼の上に座している。動物たちはかしこまって座り、猿が左手の犬に指さしながら話しかけている。

鬼王の冠には蛇の頭が見え、刀の柄の先端も蛇頭であるから、ほとんど龍王とかさなっている。鬼ヶ島は竜宮城ともイメージでつながっているのであろう。脇にひかえている姫は頭の飾り物や服装からみて、竜王の娘であろうか。下女二人も異類的な表情である。

けわしい山道を意気揚々とひきあげる桃太郎一行を描いて、この絵巻は閉じられる。猿は笠、雉は小槌、犬は一番後ろから隠れ笠と隠れ蓑を重そうにかついでいる。猿と雉が心配そうに犬をふりかえって見ている。