※訳詩は、井田泉牧師の許諾をいただいて掲載させていただきました。
井田牧師の個人サイトからも見ることが出来ます。
尹東柱さまにささげる歌(作者未詳)
あなたの天は どんな色だったので
あなたの風は どこへ吹いたので
あなたの星は 何を語ったので
あなたの詩は このように息をするのでしょうか
夜通し 苦しんで 夜明けを迎え
恋しさに傷ついた風が ふるさとに駆けていくとき
あなたは遠い空 冷たい冷たい空気の中で
あなたの息を 引き取らねばならなかったのですか
死んでいくすべてのものを 愛したあなたは
むしろ 美しい魂の光たれ
木の葉に起こる風にも 苦しんでいたあなたは
むしろ むしろ 美しいいのちの光たれ
あなたの地、あなたの所に
天を飛ぶ星が揺れる
新しい道(1938.5.10)
川をわたって森へ
峠を越えて村へ
昨日も行き、今日も行く
わたしの道、新しい道
タンポポが咲き、かささぎが飛び
娘が通り、風が起こり
わたしの道はいつも新しい道
今日も……明日も……
川をわたって森へ
峠を越えて村へ
弟の印象画(1938.9.15)
赤い額に冷たい月が差し
弟の顔は悲しい絵だ。
歩みをとめて
そっとあどけない手を握り
「おまえは大きくなったら何になる」
「人になるよ」
弟の悲しい、ほんとうに悲しい答だ。
そっと握っていた手を放し
弟の顔をもう一度見つめる。
冷たい月が赤い額にぬれて
弟の顔は悲しい絵だ。
コスモス(1938.9.20)
清楚なコスモスは
ただひとりのわたしの少女、
月の光が冷たく寒い秋の夜になれば
昔の少女がたまらなく恋しく
コスモスの咲いた庭へ たずねてゆく。
コスモスは
こおろぎの鳴く声にもはじらい、
コスモスの前に立ったわたしは
幼いころのようにはずかしくなって、
わたしの心は コスモスのこころ
コスモスの心は わたしのこころだ。
自画像(1939.9)
山の麓をめぐって 田んぼのそば ぽつんとある井戸を ひとり尋ねて行っては、そっとのぞいて見ます。
井戸の中には、月が明るく、雲が流れ、空(天)が広がり、真っ青な風が吹き、秋があります。
そして ひとりの男がいます。
なぜかその男が憎らしくなって、帰って行きます。
帰ってから考えると、その男がかわいそうになります。ふたたび行ってのぞいてみると、男はそのままいます。
またその男が憎らしくなって、帰って行きます。
帰ってから考えると、その男がいとおしくなります。
井戸の中には、月が明るく、雲が流れ、空(天)が広がり、真っ青な風が吹き、秋があり、追憶のように男がいます。
八福─マタイ福音書5章3~12(1940.12)
悲しむ人はさいわいである
悲しむ人はさいわいである
悲しむ人はさいわいである
悲しむ人はさいわいである
悲しむ人はさいわいである
悲しむ人はさいわいである
悲しむ人はさいわいである
悲しむ人はさいわいである
我らは永遠に悲しむだろう
十字架(1941.5.31)
追いかけてきた日の光が
いま 教会堂の尖端
十字架にかかりました。
尖塔があれほど高いのに
どうして登ってゆけるでしょうか。
鐘の音も聞こえてこず
口笛でも吹きつつ さまよい歩いて、
苦しんだ男、
幸福なイエス・キリストにとって
そうだったように
十字架が許されるのなら
首を垂れ
花のように咲きだす血を
暗くなってゆく空の下に
静かに流しましょう。
目を閉じて行く(1941.5.31)
太陽を慕う子どもたちよ
星を愛する子どもたちよ
夜が暗くなったが
目を閉じて行きなさい
持った種を
蒔きながら行きなさい
足先に石が当ったら
閉じていた目をかっと開きなさい
もうひとつの故郷(1941.9)
ふるさとへ帰ってきた日の夜に
わたしの白骨がついて来て 同じ部屋に臥した。
暗い部屋は 宇宙へ通じ
天からか 音のように 風が吹いてくる。
闇の中で きれいに風化する
白骨を覗きながら
涙ぐむのは わたしが泣いているのか
白骨が泣いているのか
美しい魂が泣いているのか
志操の高い犬は
夜を徹して闇に吠える。
闇に向かって吠える犬は
わたしを追うのだろう。
ゆこう ゆこう
追われる人のように ゆこう
白骨の知らぬまに
美しいもうひとつのふるさとへ ゆこう。
道(1941.9.31)
なくしてしまいました。
何を どこで なくしたのか わからず
両手がポケットをさぐり
道に出て行きます。
石と石と石が 果てしなくつづき
道は石垣に沿って行きます。
垣は鉄の門を固く閉ざし
道の上に長い影を落として
道は朝から夕べへ
夕べから朝へ通じました。
石垣を手探りして 涙ぐみ
見上げると 天は恥ずかしいほど青いのです。
草一本ないこの道を歩くのは
垣の向こうに私が残っているからで、
私が生きるのは、ただ、
なくしたものを見出すためなのです。
星をかぞえる夜(1941.11.5)
季節が移りゆく空には
秋でいっぱい 満ちています。
わたしはなんの憂いもなく
秋の中の星々をみな数えられそうです。
胸の中の ひとつ ふたつと 刻まれる星々を
今すべて数えきれないのは
すぐに朝が来るからで、
明日の夜が残っているからで、
まだわたしの青春が尽きていないからです。
星ひとつに 追憶と
星ひとつに 愛と
星ひとつに 寂しさと
星ひとつに 憧れと
星ひとつに 詩と
星ひとつに お母さん、お母さん、
お母さん、わたしは星ひとつに美しい言葉をひとことずつ呼んでみます。小学校のとき机を並べた子らの名まえと、佩(ペ)、鏡(キョン)、玉(オク)、このような異国の少女たちの名まえと、すでに赤ちゃんのお母さんとなった娘たちの名まえと、貧しい隣人たちの名まえと、鳩、小犬、兎、らば、鹿、フランシス・ジャム、ライナー・マリア・リルケ、このような詩人の名まえを呼んでみます。
これらの人たちはあまりにも遠くにいます。
星がはるかに遠いように、
お母さん、
そしてあなたは遠く北間島(プッカンド)におられます。
わたしは何か恋しくて
この星の光が降る丘の上に
わたしの名まえの字を書いてみて、
土でおおってしまいました。
夜を明かして鳴く虫は
恥ずかしい名を悲しんでいるからです。
けれども冬が過ぎて わたしの星にも春が来れば
墓の上に青い芝草が萌え出るように
わたしの名まえの字がうずめられた丘の上にも
誇らしく草が生い繁るでしょう。
序詩(1941.11.20)
死ぬ日まで天を仰ぎ
一点の恥なきことを
木の葉に起こる風にも
わたしは苦しんだ。
星をうたう心で
すべての死んでゆくものを愛さなければ
そしてわたしに与えられた道を
歩みゆかねば。
今宵も 星が風に吹きさらされる。
懺悔録(1942.1.24)
青い緑がついた銅の鏡の中に
私の顔か残っているのは
ある王朝の遺物だから
こんなにも恥となるのか。
私は私の懺悔の文を一行にちぢめよう。
──満24年1ヵ月を
何の喜びを願って生きてきたのか
明日か明後日か そのある喜びの日に
私はまた一行の懺悔録を書かなければならない。
──その時 その若い年に
なぜそのような恥ずかしい告白をしたのか。
夜になれば夜ごとに 私の鏡を
手のひら 足のうらで磨いてみよう
するとある隕石の下へひとり歩いてゆく
悲しい人の後ろ姿が
鏡の中に現れてくる。
白い影(1942.4.14)
付記 これは日本への渡航前の最後の詩。
黄昏が濃くなってゆく街角で
一日中、疲れた耳を静かに傾ければ
夕闇の、移される足跡の音
足跡の音を聴くことができるように
私は聡明だったのでしょうか。
いま愚かにもすべてのことを悟った次に
長く心の奥深くに
苦しんでいた多くの私を
ひとつ、ふたつ、私のふるさとへ送り返せば
街角の闇の中へ
音もなく消えゆく白い影、
白い影たち
ずっと愛していた白い影たち、
私のすべてのものを送り返した後
うつろに裏通りをめぐり
黄昏のように色づく私の部屋へ帰ってくれば
信念の深い堂々たる羊のように
一日中憂いなく草でもはもう
付記(つぶやき)日本での最初の詩 2006/02/07初訳
「白い影」は「フィン クリムジャ」。 この一語だけでたまらないような気持ちになります。声が聞こえてくるのです。
悲しみとなつかしさといとしさとはかなさと浮遊感……
でも最後は、神さまにすべてをゆだねて、死ぬ覚悟をしたので、堂々たる羊になって、憂いなく草をはむのです。でもそれは、まことの羊飼いがいてくださるからです。ひとりの人の新しい誕生。
「足跡の音」というのはほんとうに直訳です。日本語としては奇妙です。三つの訳を見ましたが皆「足音」と訳しています。しかし私は「足跡」を残したい。足跡であって、過去の出来事の痕跡なのです。しかしその痕跡に触れるとき、はっきり音が聞こえるのです。
過去のことが現在に蘇る。2000年前のイエスさまの足音かもしれません。2000年前のイエスさまが今、ここに歩んでおられる。イエスさまの足音を聞くことができるように、尹東柱は聡明にされた(神によって)のではないでしょうか。彼には神さまから託された使命があった。イエスさまの足音を聞いてそれを伝える使命が。
それですから、みずからを聡明だと思っても、それはおごりや高ぶりではなく、不思議なことをなさる神への控えめなつぶやきなのです。
たやすく書かれた詩(1942.6.3)
窓の外には 夜の雨がささやいて
六畳の部屋は ひとの国
詩人というのは悲しい天命であると知りつつも
1行の詩を書いてみるか
汗のにおいと愛のにおいの ふくよかに漂う
送ってくださった学費封筒を受け取って
大学ノートを脇に抱えて
老いた教授の講義を聞きにいく
考えてみれば 幼いときの友を
ひとり、ふたり、みな 失ってしまい
わたしは何を願って
わたしはただ、ひとり沈むのか
人生は生きがたいというのに
詩がこのようにたやすく書かれるのは
恥ずかしいことだ
六畳の部屋は ひとの国
窓の外に夜の雨がささやいているが
灯火をともして 闇を少し追いやり
時代のように来る朝を待つ 最後のわたし
わたしは わたしに 小さな手を差し出して
涙と慰めで握る最初の握手