竹取物語絵巻下巻 概要
中巻に続く話。下巻の第一図は、勅使・中臣房子が翁の家から宮中に戻り、帝に事の次第を報告する場面。繧繝縁(うんげんべり)の畳や、御簾に顔を隠した帝の描写など、格式ばった場面構成となっています。
下巻第二図は、帝がかぐや姫に会うために、翁の家に赴いての場面。ここでも繧繝縁の畳に帝が座します(ただし、顔は露わにされます)。対座する姫が顔を背けているのは、彼女が帝の言に応じないことを表します。このあと物語では、姫が「きとかげ(さっと光って)」姿を消すのでした。
その後の物語では、帝と姫が三年ほど文通を続けるうちに、姫が月を見ては悲しむようになります。
下巻第三図は、その場面。月を見るのは「忌む」ことだと家人が制しても、「いかで月をみではあらん(どうして月を見ないではいられましょう)」と、言うことを聞かない姫。そして八月十五日近くになって、姫は自らが「月の都」から来たこと、そしてこの十五日に「月の都」から迎えが来ることを明かすのでした。
下巻第四図は、翁が天人を迎え討つために、帝に軍勢の派遣を要請し、二千人の「六衛の司」が動員された図。皇軍に家の屋根や築地を守らせ、媼は姫とともに塗籠(ぬりごめ)に閉じこもりますが、いずれも無駄に終わります。
下巻第五図は、天人の来迎の場面。天人は翁に、かぐや姫は「月の都」で罪を犯したのでしばらく地上に降ろしただけで、今はその贖罪も済み、姫は昇天する時が来たことを告げます。そして姫に「不死の薬」を嘗めさせ、「天の羽衣」を着せた途端、姫はそれまでの「もの思ひ」もなくなり、「月の都」へと昇天してしまうのでした。残された翁は悲しみのあまりに病臥し、帝は「不死の薬」を勅使に命じて富士山頂で焼かせるのでした。
下巻 第一図(勅使の報告)
本図の繧繝縁(うんげんべり)の畳は玉座を象徴するもので、その畳に座す帝の顔が御簾で隠されるのも、絵巻の常道的な描写である。前段で帝は「おほくの人殺してける心ぞかし(多くの男を殺したとかいう強情さだなあ)」と思ったものの、やはり姫を諦めきれない。このあと物語では、帝は官位を餌に、翁に姫を差し出させようとする。しかし姫は翁に、「つかさこうぶり(司冠)つかうまつりて死ぬばかりなり(翁に官位を得させて、自分は死ぬ)」と宣言する。やむなく翁は帝に、姫は山で見つけた子で「世の人に似ず侍る」と、かぐや姫の神秘的な出自を明かすほかない。翁の家から宮中に戻った勅使・中臣房子は、帝に不首尾の結果を報告する。このあと物語では、帝は姫に直々に会うために、狩りのついでということにして、翁の家に向かう。家に入ると、光に満ちて美しい女性がいたので、帝はその袖を捉えて連れて行こうとした。しかし、姫は「きとかげに(さっと光って)」消えてしまう。姫が「ただ人」ではないことを悟った帝は、「もとの形(姿)」になってくれるようにと懇願するほかないのであった。
下巻 第二図(帝と姫の対面)
帝がここでは顔を露わにして描かれるのは、他の絵巻でも同様である。多くの絵巻でこの対座シーンが描かれるなかで、本絵にみる帝と姫の位置関係がほぼ対等であることが特徴的である。他の絵巻では、帝か姫のどちらかが立ち姿で描かれたり、帝が姫の袖を捉えたりする場面を描くことが多い。それらと比べると、本図の構図は穏やかな印象を与える。
物語ではこのあと、帝と姫が三年ほど文通して心を通わせるうちに、やがて月を見ては姫が嘆き悲しむようになる。家人や翁が「月の顔みるは忌むこと」あるいは「月な見たまひそ」と制するのに対して、姫は「いかで月をみではあらむ(どうして月をみないでいられましょう)」と抗弁する。そして姫は自らが「この国の人」ではなく、「月の都の人」であり、十五夜には天人が迎えに来ることを明かす。姫の話に衝撃を受けた翁は、天人を迎え討つための軍勢を帝に要請する。
下巻 第三図(悲しむ姫と翁たち)
ただ、本図では月は点描されない。多くの絵巻類のこのシーンでは、月が描きこまれていることからすると異色である。姫の悲しみの要因である月が描かれないために、本図では物語に語られる悲哀が緩和されることになる。
物語はこのあと、天人を迎え撃とうと戦闘心を掻き立てる翁に対して、姫は翁との別れをひたすら悲しむ。「かの都の人はいとうらに老いをせずなん(月の都の人は美しくて老いることもない)」と言いながら、翁の「老い衰へ給へるさま」を見届けられないことを嘆く姫。いざ十五夜となり光り輝く天人たちが降臨するやいなや、皇軍も翁たちも戦意阻喪してしまう。天人は、かぐや姫が月で犯した罪の贖罪のために「いやしき」翁のもとへ下されたこと、その贖罪を終えたので今は月に帰還することを宣告する。そして天人が姫に、「穢き所」にこれ以上留まるべきではないと呼びかけると、塗籠に隠し守られていた姫は自動的に外へ出ていってしまうのであった。
下巻 第四図(翁の家を守る兵士たち)
邸内では姫が(簀子では女房も)手をかざして空を見やろうとする姿が描かれる。屋根の上の兵士たちや、庭で鳴弦する兵士たちは、戦いの準備にいそしむ図であるが、それにしては荒々しさはない。本絵巻の全体に穏やかなトーンと合致する描写である。
物語はこのあと、姫は嘆き惑う翁たちに文(手紙)を書き残す。わたくしを恋しく想うときは、この手紙と脱ぎ置いた衣、そして月を「形見」として偲んでほしい、と。天人は姫に、「穢き所(穢土=地上)」での汚辱を浄化するために、「不死の薬」を嘗めさせる。姫は帝にも手紙をしたため、頭中将に「不死の薬」とともに託すのであった。そして「天の羽衣」を着せかけられた姫は、「もの思ひ」もなくなり、「月の都」へと昇天してしまった。
下巻 第五図(天人の来迎)
ここでは媼が手をかざし、簀子の童が両手を合わせて拝む体である。天人来臨のこのシーンは、他の絵巻類でも好んで描かれるが、その多くは伎楽天図にみるような天女たちを描く。しかし、本図の右上方にみえるのは雲に乗った童子たちで、彼らが雲に乗って輿を引く様子。
物語はこのあと、残された翁が悲しみのあまりに病臥したことを語る。いっぽう頭中将から「不死の薬」とともに姫の手紙を受け取った帝は、ものも喉を通らず管弦の遊びもしない。そして上達部たちを呼んで、「いづれの山か天に近き(どの山が天に近いか)」と下問し、勅使に命じて富士山頂で手紙と「不死の薬」を焼かせるのであった。
下巻 第六図(不死薬の献上)
頭中将が帝に、姫の手紙と「不死の薬」を献上する場面。
他の絵巻類では、最後の絵は先の第五図(天人の来迎)を美しく描くものが多い。本図は、「不死薬の献上」の絵で締めくくる数少ない例の一つである。華麗に描かれる来迎図と比べると、宮中の繧繝縁の畳に座す帝の前で畏まる頭中将の図は、地味な趣になる。本図の帝は蔀(しとみ)で顔を隠される形で描かれており、その公的な立場を喚起してやまない。この帝の描写は、下巻・第一図の宮中で勅使・中臣房子の報告を受ける帝の描写を想起させる。下巻・第二図では、かぐや姫と対面する時の帝が全身描かれていたものが、この下巻・第六図において再び下巻・第一図と同様の帝の描写に戻された。本絵巻は全体に穏やかで安定したタッチで描かれるが、そのことは帝の描写にみるオーソドックスな視線にも通じることである。
物語の結末は、帝の名で山に派遣された勅使が、沢山の「つはもの(兵士)」を連れて山に登ったことから、この山を「富士(つわものに富む)」と呼ぶようになったとの洒落た地名起源譚で締めくくられる。絵巻類には富士山を最後のシーンに描く例もある(立教大学蔵「竹取物語 貼交屏風」もその一例)。
※物語の引用は、本絵巻の詞書に拠るが、表記を一部改めたところがある。