樋口一葉「詠草」について          
                      立教大学名誉教授 藤井淑禎


 「詠草」と聞かされても、たいていの方はピンとこないかもしれませんが、要するに、和歌の草稿を手ずから綴じたもののことです。ただ、一葉の詠草に関しては、すでに旧版の『一葉全集』(筑摩書房、昭28〜31)を経て新版の『樋口一葉全集』(同、昭49〜平6)でほぼ完璧に紹介し尽くされており、立教大学所蔵の詠草四冊もそこに見ることができます(新版全集では第四巻(上)に収録)。その四冊を、全集編者の野口碩氏による注の助けを借りて簡単に紹介してみると、以下のようになります。

(1) 詠草7(表書「詠草/樋口奈津子」)

 明治一九年八月から二〇年四月までに詠まれた歌の中から一三九首の秀歌を選んだ選歌集。
 半紙二つ折り縦袋綴じ、本文一六葉(三二頁)。

(2) 詠草19(「廿一年四月/戀百首/樋口夏子」

 百首のうしろに、それ以後に詠まれた十数首が書き加えられている。本文一八葉。

(3) 詠草40 (「九月より/詠艸/樋口夏」)

 明治ニ七年九月から一一月頃までの宿題系(※)の詠草。 四七首収録。和歌本文一二葉。

(4) 詠草44(「三月/詠草/樋口夏子」)

 明治二八年三月から五月頃までの宿題系の詠草。三四首収録。本文一〇葉。

※ 宿題系…一葉が通っていた歌塾で課せられた、文字通りの宿題。

 

 これらは昭和三九年度から四〇年度にかけて購入され、平成三年まで当時の日本文学科研究室に置かれた後、新座保存書庫に移され、現在は立教大学池袋図書館内の貴重書庫に保存されています。その新座への移転の際、(3)に一枚だけ破取の跡が見られることに井上宗雄先生(立教大学名誉教授)が気づかれ、メモを残されました。しかし、全集の注に記載された(3)の総枚数と本学所蔵のそれとは一致するにもかかわらず、全集には破取跡への言及はなく(破取に気づいていない?)、四七首が記された一二枚の後に筆すさびに使われた二枚が添えられているかのように記してあります。本学購入のはるか以前に破取されたと思われる部分はその一二枚目と二枚の間にあるので、この破取された一枚分に記されてあったのが和歌であったのかどうかは、にわかには判じられません。

 破取に注意を促した井上メモの他にも、詠草中にはもう一枚、前田愛先生(立教大学元教授)の手になると思われるメモが挟み込まれていました。(4)の最初のほうに挿入されている「巻三十九」と鉛筆書きされた紙片は、これが旧版全集では「巻三十九」に分類されていたことを前田先生が心覚えのために挟み込んでおいたものにちがいありません。

 これらの詠草類がそれ自体として貴重なものであることはもちろんですが、このように歴代の先生方の体温や息づかいが感じられるという点においても、これらはまたとないわが立教の貴重な財産というべきものなのです。