アーサー・ロイド 年譜

※網掛け部分は、ロイドの立教在任期間を示しています。

1852(嘉永5) 出生 4月10日インド北部パンジャブ州の都市シムラで、英国陸軍士官の父のもとに生まれる。4歳の時、父が斃れ、以後母一人子一人の家庭に育つ。
1860(安政7) 8歳 母と共にドイツに移り、シュトゥットガルトで学校教育を受ける。その後、英国プレウッドのグラマー・スクールに入学。
1870(明3) 18歳 ケンブリッジ大学セント・ジョンズ・カレッジに入学し、その後ピーター・ハウスに所属する。
1874(明7) 22歳 ケンブリッジ大学学士卒業。古典学は優秀な成績だった。その後、インドでの宣教を志してドイツのテュービンゲン大学でサンスクリットを学ぶ。
1875(明8) 23歳 英国教会執事となり、翌年司祭となる。
1877(明10) 25歳 マライア・ロウズ・テレーサと結婚、長女が生まれる。ケンブリッジ大学修士号を取得、ピーターハウスのフェローとなり、首席牧師とライブラリアンの仕事に携わる。
1879(明12) 27歳 ケンブリッジ近くの教会の聖職につく。
1883(明16) 31歳 英国教会系ミッション(SPG)宣教師として認められる。
1884(明17) 32歳 5月24日、妻と三子を連れて日本に向けて出航、8月16日日本に到着する。
1885(明18) 33歳 2月より慶應義塾で英語教育を開始する。伝道にも精力的に取り組み、来日7ヶ月後には日本語で説教を行う。
1890(明23) 38歳 夫人の病気のため転地療養の必要から、カナダ・トロントのトリニティ・カレッジの古典・弁論学教授となるが、同地で夫人を亡くす。
Japanese colloquial texts with translations and notes(『英和会話捷径』)Kelly & Walsh
1893(明26) 41歳 8月日本に戻り、慶應義塾大学部文学科の主任教員となる。ドイツ語教員のファルロットと再婚する。その後1898年4月まで英文学、フランス語、ラテン語などの教鞭をとる。
1894(明27) 42歳 米国聖公会東京伝道主教マキム、ロイドを同派の宣教師として任命する認可を要請する。ロイドは慶應で教鞭を取りつつ、東京伝道管轄区で無給宣教師として熱心に活動する。
1897(明30) 45歳 米国聖公会所属宣教師として正式に認可される。ティング校長の後任として立教専修学校・立教英語専修学校長にロイドが任命される。
White Aster(『孝女白菊の詩』)長谷川武次郎発行(英訳)
1898(明31) 46歳 慶應義塾を退職し、立教学校(St. Paul's College)総理(President)に就任する。マキム主教から立教改善策の提示を求められ報告書を提出する。
1899(明32) 47歳 文部省訓令12号により、政府からの特権を得ていた学校においては、宗教教育が禁止される。青山・東洋英和・同志社・立教・明治学院・名古屋英和の六校で反対声明を出す。ロイドの方針により、立教学校は立教学院と改称し、中学校以外の東京英語専修学校(神田)、立教専修学校、寄宿舎でキリスト教教育を行うことで、立教中学校は認可校として教育活動を行うこととなった。立教中学の学生数は210名と大幅に増加した。
1900(明33) 48歳 立教学院で週13時間の講義を担当、学生の職業訓練を兼ねて立教学院活版部を発足させる。海軍兵学校で英語と歴史の講義を行う。九段の諸聖徒教会の牧師のほか文学活動にも携わる。
1901(明34) 49歳 立教中学の学生数は424名となり、日本で最大のミッション・スクールとなる。日本海軍船内に図書室の創設を提案する。築地聖三一大聖堂と九段の諸聖徒教会の管理を任される。 
1902(明35) 50歳 立教中学校の学生数は450名となるが、家族で献身してきた神田の東京英語専修学校の経営は苦しくなる。母教会に援助を依頼するが、翌年の閉校が決まる。元田作之進が立教を去り、立教中学校校長の任務も担うこととなる。
Girls' English reader(『女子英語読本』)元田作之進との共著、三友書院(英文)
Librarian's report(Transactions of the Asiatic Society of Japan 29 pt.Ⅲ)
1903(明36) 51歳 業務多忙による健康問題、文学と学術活動へ専念の希望、カトリック改宗問題などから、立教学院総理を4月に辞任する。同年からラフカディオ・ハーンの後任として東京帝国大学英文学教授となる。またキリスト教との接点を求めて日本仏教などの研究を進める。The Asiatic Society of Japan(日本アジア協会)の会長にも就任する。
1904(明37) 52歳 慶應で1年間修辞学を教える(非常勤)。
Imperial songs(『御歌』)立教学院活版部(英訳)
1905(明38) 53歳 Gold demon(『金色夜叉』)有楽社(英訳)
Village life in Japan(Transactions of the Asiatic Society in Japan 34)
1907(明40) 55歳 The praises of Amida:seven buddhist sermons(『阿弥陀崇拝』)教文館(英文)
1908(明41) 56歳 The wheat among the tares(『毒麦のなかの麦:日本における仏教研究』) Macmillan (英文)
1909(明42) 57歳 Every-day Japan(『日常日本』) Cassel (英文)
1910(明43) 58歳 Shinran and his work:studies in Shinshu theology(『親鸞上人伝』)教文館(英文)
A birth-day book of Japanese verse, old and new(『誕生日記念帖』)審美書院(英文)
1911(明44) 59歳 3月ファルロット夫人が保養先のカナダで客死する。10月27日自宅で脳溢血のため永眠する。30日に聖アンデレ教会で葬儀が行われ、聖公会関係者ほか各方面から多くの参列者を集めた。青山霊園(東京)に埋葬される。
1913(大2)   Nature and man(『自然と人生』) 徳富蘆花著、アーサー・ロイド訳 弘学館(英訳)


※アーサー・ロイドは、ケンブリッジ大学のフェローだった時期、日本アジア協会会員だった時期など、ライブラリアンとして図書館業務にも携わっている。 (年譜:立教大学図書館作成) 

 

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