ルソーコレクションデジタルライブラリ

ルソー主要作品デジタルライブラリについて


 このコレクションは、ジャン=ジャック・ルソーの主要作品の18世紀刊行版(エディション)を対象としています。18世紀の書物については何をもって「初版本」とするか議論がわかれますが、コレクションには貴重な「初版本」も多数含まれています。

ルソー著作全集

 どうして「初版本」や当時の印刷物が重要なのでしょうか。
 それを説明するにはどうしても学術的で専門的な話に入り込まざるをえません。(学術的解説を必要としない方はぜひ直接、個別の作品紹介へ進んでください。)
 たとえば、ルソー思想の鍵概念のひとつに「一般意志」というものがあります。それを例に取って説明してみましょう。
 「一般意志」は『社会契約論』の核心をなす理論装置です(『社会契約論』作品紹介参照)。この概念をめぐっては、フランス革命の理論家たちによる「我有化」、さらにはルソー以降の哲学者たち(たとえばカント、とりわけヘーゲル)の格闘を経て、現在でもさまざまな論者を巻き込んだ激しい議論が続いています。「一般意志」は政治哲学史上のもっとも巨大な「難問」のひとつといえるでしょう。
 この「一般意志」をどのように理解すればよいのか。多くの哲学者や研究者がさまざまなアプローチを試みてきました。たとえば多様なルソーの全作品を丹念に読み解き、ひとつの思想体系を作り上げ、「一般意志」概念の特質を明らかにしようとする読解がありました。また政治哲学史(とりわけプラトン、アリストテレス、マキァヴェッリ、ホッブズ、ロック、プーフェンドルフ、グロティウスといった「前史」と「ルソー以降」)の中にこの概念を位置づけようとする試みもなされてきました。
 近年では、ルソーの独創とされるこの「一般意志」概念を、神学的概念の世俗化、政治化過程に位置づけ、その過程を丹念に辿ろうとする観念史研究があります。また、多様なゲーム理論や集合的選択理論を用いてルソーの「一般意志」概念を理解しようとする解釈の系譜も無視できません。
 このように研究が複雑かつ厳密な進展を遂げるなかで、今いちど文献学的な精緻化の必要性が意識されるようになったのです。
 不思議な現象だと思われる方もいらっしゃるかもしれません。確かに、ルソーの作品はこれまで何百という批評校訂版が作られ、すでに無数の翻訳も存在しています。それなのになぜ今さら文献学的な精緻化が必要になるのでしょうか。
 実はルソーは膨大な量の草稿、作業ノート、書き込みのある蔵書を残しているのですが、それらの大部分はいまだ出版されておらず、あるいは編者の恣意的な編集によって部分的にしか出版されてこなかったのです。その草稿群のなかに、「一般意志」概念の謎を解く鍵が残されているのではないか。かくして「草稿への回帰」とも呼ばれる研究手法が脚光を浴びるようになったのでした。実際、世界中の研究機関が、こぞって自分たちの所蔵する草稿群をインターネット上で公開し始めています。
 それと同時に、18世紀刊行版に対する関心も高まりました。18世紀に出版された版(エディション)もまた、世界中の研究機関が競って公開を始めています。たとえば、ここでわれわれが公開する『社会契約論』の「初版本」表紙には、「社会契約論」という文字はなく、副題とみなされている「政治的原理の諸原理」(「国制の法の諸原理」と訳されることもあります)がタイトルになっており、更には幾つかの削除箇所、あるいは加筆のなされていない箇所があります。
 ルソーは18世紀の哲学者としては例外的に、自分の作品がどのように印刷されるかに細心の注意をはらった作家でした(文字の配列、改行、フォント、紙質など)。また、できあがった「書物」に特殊なこだわりを持ち続けました。中でも決定的な価値を見出したのが「初版本」なのです。

 最後に、『社会契約論』と「一般意志」概念の例をはなれ、ここに公開する他の著作の「初版本」の特徴についても簡単に説明しておきましょう。
 たとえば、『人間不平等起源論』の「初版本」には、わたしたちが通常手にしている書物とは明らかに異なり、「献辞」には特殊なフォントが使用されており、紙質まで違います。
 パリ大司教クリストフ・ド・ボーモンが著した『エミール』断罪の教書に対する反駁の書『ボーモンへの手紙』の冒頭には、教書それ自体が印刷されることで、対話性・論争性が際立っています。
 第一部のみが『孤独な散歩者の夢想』と共に印刷された『告白』には、無数の重要な削除箇所が見出されます。また第二部にも無数の削除箇所が見出されます。
 もちろん、こうした文献学的関心は最悪の瑣末主義に陥ることもあります。ですが、時として、批評校訂版や翻訳を読んでいるだけでは絶対に出会うことのできない読解の鍵を与え、解釈可能性を広げてくれるのです。(桑瀬 章二郎・本学教授)