明治大正期のルソーの翻訳書

 近代の黎明期の日本おいて、ルソー(Jean-Jacques Rousseau,1712-1778) の著作を翻訳紹介した人物としては、1874(明治7)年に書き下し文で訳され、写本の形で民権派の間で回覧された『民約論』、および、1882-83 (明治15-16) 年に雑誌『政理叢談』に連載された『民約訳解』によって「東洋のルソー」と称される中江篤介(兆民)が有名である。立教大学は、兆民訳の『民約訳解・巻一』(1882)をはじめ、『社会契約論』全巻の本邦初訳と目される服部徳訳『民約論』(1877、明治10)、原田濳訳『民約論覆義』(1883、明治16) と、入手困難なこの時期の訳業を揃えて所蔵している。

 明治初期にフランス語原典から翻訳されていた『社会契約論』に比して、『エミール』の紹介は、英訳やドイツ語訳からの重訳の形で、しかも、かなり問題のある抄訳の形ではじまった。フランス語からの全巻の翻訳は、平林初之輔訳を嚆矢とするもので、この訳は出版社を変えながらなんどか改訳されて、岩波文庫におさめられた。

  自伝『告白』も、英訳やドイツ語訳からの重訳が試みられ、日本の文人たちに並々ならぬ影響を与えた。やはりなんどかの改訳を経て岩波文庫におさめられた石川戯庵訳に、上田敏、森林太郎(鴎外)、島崎藤村の文章が収録されているのはその名残りで、たとえば鴎外はドイツ語訳からの重訳を試みて途中で断念した思い出を語っている。

  ここに展示するルソーの著作の初期の翻訳は、いずれも現代の研究水準に照らしてみれば問題箇所を容易に指摘できるレヴェルのものではある。しかし、鎖国を解いて本格的に西洋諸国との交流がはじまったばかりの時代に日本の知識人たちが有していた、未知の文化から学ぼうという真摯な学問的探究心と熱意とを生き生きと伝えている。

(文学部教育学科 坂倉裕治)